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| 三瓶地区 |
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三瓶町名由来の碑・三瓶神社 |
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日吉崎の「三瓶町名由来の碑」のあるあたりに、昔三つの瓶が流れついたという伝説から、「三瓶神社」という社が建てられました。
この社が三瓶町名の起源となったものです。
碑文によると、「源平の昔、嵐の夜のあと、この辺りの砂浜に三つの瓶、一振りの剣、一本の鼓が無数の蜷に担われて、打ち上げられていた。村人は、これ等こそ神社の賜り物と、これ等の品々をご神体としてこの地に小祠を建てて祀り、三瓶神社と称した」とあります。
この三瓶神社は明治42年(1909年)に国造神社に合祀されましたが社殿はそのままに残されていました。
社殿も昭和48年(1973年)に取り壊され、昭和53年(1978年)に「三瓶町名由来の地」の碑が建てられました。
剣はどこに祀られたかは定かではありませんが、三つの瓶は伝説の絵馬と共に、宇和町岩木の三瓶神社に奉納されています。
鼓は、火寄崎(現日吉崎)の丘でこの鼓を打つと奥地湾(三瓶湾)一帯に響きわたったことから「高音の鼓」と呼ばれ、今も国造神社の社宝として保存されています。 |
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宇和町岩木の三瓶神社の由来
三瓶町日吉崎に三つの瓶を祠を建ててお祀りしたところ、三瓶湾の沖を通る白帆を揚げた舟が時化でもないのに転覆することが起こりました。
これは、三つの瓶は平氏の遺品ではなかろうか、白を旗印にした源氏に対する怨みから白帆を忌み嫌って舟を転覆させるのだろうと。
そこで海の見えない地に祠を移すことにし、最終的に宇和の岩木の地に落ち着きました。
すると舟の転覆事故は全くあとを断ったということです。
その後50年ごとに三瓶の地へ帰られる三瓶神社還幸50年祭が行われており最近では、昭和61年(1986年)に行われました。
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住 所 |
:愛媛県西予市三瓶町朝立
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電 話 |
:0894-33-2470
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駐車場 |
:無し
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アクセス |
:三瓶支所より徒歩で約1分
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国造神社 |
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古くは一宮大明神と号していましたが、明治4年社殿を改造し国造神社と改号しました。神宝として鼓の胴(高音の鼓)、木彫の亀があります。
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住 所 |
:愛媛県西予市三瓶町朝立
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問合せ先 |
:三瓶教育課
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電 話 |
:0894-33-2470
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駐車場 |
:無し
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姫塚 |
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鴫山地区の南端に行くと、小さな青石で積まれた祠(ほこら)があります。これが姫塚(お姫様の塚)です。この塚は薄幸のお姫様を祭っているもので、間口が185センチ、奥行き、高さが140センチの石積みとなっています。材料となった青石一枚一枚には祈りを込めて、墨や朱で法華経が書かれていましたが、今でははげ落ちています。
このお姫様には、悲しい伝説が残されています。
むかし、京都のある公卿様のお姫様が不治の病にかかられ、手当のしようもないことからうつろ船(空っぽの船)に乗せられて流されてしまいました。船は西に流され、陸地に着いて陸に上がろうとすると、嫌われ追い払われ、ついに鴫山に来て落ち着かれることになりました。鴫山の人たちは、このお姫様に同情して小屋を建て、村養いしたそうです。お姫様は非常に喜ばれてこの村では永久に不治の病の人が出ないように守ってあげようといわれたそうです。
それから数年後に亡くなられるまで、毎日法華経を青石に写されたということです。
お姫様の亡くなられた後、里人達が相談して、これらの青石を積み上げ、祠(ほこら)をつくってあわれな姫の霊を慰めたそうです。 この祠(ほこら)が「姫塚」です。
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住 所 |
:愛媛県西予市三瓶町鴫山
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問合せ先 |
:三瓶教育課
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電 話 |
:0894-33-2470
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駐車場 |
:無し
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