土佐国幡多郡と境を接する西予市城川町・西予市野村町・河辺村のあたりには道の辺に茶堂が残されている。城川町には旧街道の辻々に茶堂が五十九ヶ所も残存している。いつごろから建てられたものであるかその資料は明らかではない。
安永二年(1773)己十月御巡見御用差出帖によれば辻堂と記し、その数と一致する。伊予の各地にも辻堂があり、お茶の接待を旧七月に行っていた記録がある。
辻堂とは、今の茶堂のことで、安永以前から交通の要所に建てられているものである。茶堂でお茶を交代に接待することは戦後大部分やまったが、中には信仰のためわざわざ一日を茶堂に座し昔の業を行う人もいる。(高知県境原町誌より)
一間(約一.八メートル)四方の方形で屋根は茅ぶきまたは、瓦ぶきの宝形造り、柱は径三0センチメートルほどの丸柱あり角柱ありいろいろである。三方を解放し、正面の奥一方のみが板張りで、そこに棚を設けて石仏を祀っている。床は厚さ五センチほどの板張りで地面から四十五センチメートルの高さにある。
これが茶堂である。まつられている石仏は大師、地蔵、庚申像などまちまちである。昔は四国遍路や旅商人が歩きつかれてこの茶堂で憩い部落の人々から茶の接待を受けたところであった。
毎年旧暦七月一日から末の三十一日まで毎日各戸輪番に出て午前九時ごろから夕刻までお茶を沸かし、お大師様に献茶をし「茶の子」には煮物や煮豆、かき餅などを出し通行人や部落の子供たちに接待をした。これをお茶供養といい茶堂の呼び名の由縁ともなっている。
七月十七日には巡礼講と言って、各戸一人ずつ茶堂に集まり、西国三十三番御詠歌を流し、二十一日には大師講と言ってお念仏を唱え、申の日には庚申講の行事が行われる。また田休みの日には虫送りと言って昼から太鼓や鉦を叩いて念仏を唱え、悪虫退散を祈るなど住民の平安を願う信仰の場であった。
春秋ニ季には「おこもり」と言って部落中家族総出で茶堂に集まり、重箱を持参し堂の周囲にむしろやござを敷いて座し、酒宴を開き話し、呑み、かつ唄う懇親の場、情報交換の場でもあって、極めて重要な役割を果たしてきたものである。この茅ぶきの素朴なたたずまいは町の代表的風景であるとともに山村独特の民俗建造物である。(ふるさとの茶堂と石佛より)
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