【報告】連載「四国西予ジオパーク 10 年の歩み」
四国西予ジオパークの認定10 周年を記念して、この10 年の歩みを振り返ります。
【更新情報】
2024年7月8日 第11回(広報せいよ令和6年9月号掲載分)を掲載しました。
2024年6月14日 第10回(広報せいよ令和6年8月号掲載分)を掲載しました。
2024年5月19日 第9回(広報せいよ令和6年7月号掲載分)を掲載しました。
2024年4月15日 第8回(広報せいよ令和6年6月号掲載分)を掲載しました。
2024年3月18日 第1回~第7回(広報せいよ令和5年11月号~令和6年5月号掲載分)を掲載しました。
第11回(終) ジオミュージアムのこれまでとこれから
高橋 司(四国西予ジオミュージアム)
ジオパークには、その地域ならではの大地の特徴や、それらと繋がっている自然、人々の暮らしなどを紹介する拠点施設が必要だとされています。
当初は、旧城川町が1992年に黒瀬川帯の紹介を目的として三滝渓谷入口に整備した「城川地質館」を“ジオパーク学習の拠点施設”と位置付けて活動していましたが、立地条件や老朽化の問題に加え、海・里・山に広がる西予市内の地域資源を多面的に紹介するための内容変更も必要であったため、場所を移して城川の中心地域に新設されることになりました。
四国西予ジオミュージアムと名付けられた新しい拠点施設は2022年4月にオープンしました。館内には、市内のジオサイトを楽しく学べて、“地球の記憶”ともいえる貴重な岩石や化石、鉱物などを紹介している常設展示室だけでなく、親子で楽しめる交流スペースのほか、テーマを設定した企画展や講演会、イベントなどを随時行っている企画展示室も設けられています。
また、ギャラリーしろかわ、城川歴史民俗資料館が隣接し、近くにはジュラ紀の化石見学ができる河原などもあります。来館者には興味に応じて多様な楽しみ方が提供でき、さらに、ジオパーク学習などで大人数の訪問となる場合でも、近隣施設等と調整しながら過密を避けて見学いただいているところです。
さて、ジオパーク認定後10年が経過しましたが、ジオパークで重要視されていることが「地域の自然に根ざした、地域の人の活動」であることに変わりはありません。現在、市内各地では地域資源を活かした個性豊かな地域づくり活動が活発に行われています。今後はジオミュージアムでそれらを紹介するパネル展なども実施し、市内ジオサイトと併せて、西予の人々の魅力も発信していける施設にしたいと思います。
第10回 E-bikeで巡ろう! 〜西予市を遊び・学び・食べつくす〜
正司 哲朗(元:西予市観光物産協会局長)
四国西予ジオパークと認定され、ジオパークにまつわる活動が各方面において展開されています。調査、研究、ガイド、保全活動などが進められていますが、見て、体感して楽しむ観光面での活動が必要ではないかと感じていました。
ジオパークとしての魅力を感じていただくために、多様な地形の織りなす風景やその大地のもとに育まれた文化を直に感じることが一番だと、カヤック、サイクリング、トレッキングで海、山、里を巡るコンテンツを「四国西予ジオツーリズム」と称して作ろうと考えました。
段々畑に映えるみかんを望むカヤック、古くからの町並み、河成段丘を自らの足で体感するサイクリング、龍馬脱藩の道を巡るトレッキングなど、肌で感じる音、匂い、色が躍動感に溢れ、体験してみると普段、車窓から眺める西予とは別物でした。
四国西予ジオツーリズムを考える中、「E-bike」というスポーツバイクに電動アシストユニットを装着した自転車に出会いました。E-bikeに乗ればどんな坂道もスイスイと登ることができ、長時間の移動でも疲れを感じにくくなります。一般的に、どのアクティビティにおいても、身体能力によって楽しみ方に差が出てくるものです。しかし、E-bikeだと電気の力によって、その差をいとも簡単に埋めてくれ、老若男女が一堂に楽しむことができます。
そんな特性を活かして、西予市ならではの食事をセットにしたモニターツアーを開催し、どのようなツアーに需要があるのかを探っています。
西予市観光物産協会では、補助事業を活用してE-bikeを27台購入し、宇和文化の里休憩所をはじめ市内7箇所へ配置しレンタルすることができます。
現在実施しているツアーはどちらかというと市外のお客様の参加が多いですが、西予市の皆さんに、一度、E-bike に乗っていただきたいと考えています。E-bikeに乗って、海から山まで広大な西予市を自分の足で駆け巡り、まだ知らない西予を探しに行ってはいかがでしょうか。
第9回 平成30年7月豪雨災害と西予市の防災学習
榊山 匠(四国西予ジオミュージアム)
私は平成30年度にジオパークの活動を推進する専門員として、せいよ地域おこし協力隊に着任しました。私は大阪生まれですが、着任早々大阪府北部で最大震度6の大きな地震があったので、西予のジオパーク活動の中で日頃から防災減災活動に取り組まれているか気になりました。
ジオパーク活動の中で、過去に皆田小学校にて防災の学習に取り組んでいた実績があったものの、市内の各小中学校に対して防災をテーマに授業を行うノウハウや仕組みはこれまでありませんでした。そんな中で発生した平成30年7月豪雨災害。私は野村町で泥のかき出し作業やごみの片付けをお手伝いしながら、「発災前に何も役に立つことができなかった」と肩を落としました。
発災からしばらく経ったころ、ある地域の方から「自分たちの住んでいる身近な山や川と自然災害の関わりを教えてほしい」というご依頼をいただき出前講座をしました。講座では地形の起伏に着目して、尾根と谷の見分け方や等高線の読み方、国土地理院webや地質図Naviなどのインターネット上で無料で閲覧できる地図から急傾斜や地質的に脆い場所を判読する実習を行いました。これをきっかけとして令和元年度から令和2年度にかけて様々な団体や学校からお声がかかり、防災の出前講座を数多く実施しました。私の専門は化石の研究で、防災について最初は素人同然でした。しかし様々な方の要望に応えたい一心で経験を積む中で多くの資料に目を通し、講座の内容も少しずつ磨きがかかりました。
こうした私の経験や制作資料は、乙亥会館災害伝承展示室の展示内容や、「災害から学ぶ」パッケージ学習事業の策定にあたって役立てていただきました。パッケージ学習のいくつかのプログラムはジオパーク推進室が現在も担当しています。この6年間を振り返り、西予市の防災学習が短期間の間でこれだけ充実したのは、多くの市民の方の防災学習に対するお声をいただいたからに他ならないと実感しています。
第8回 「四国西予ジオの至宝」を通して
谷本英樹(四国西予ジオパーク推進協議会副会長)、佐藤宏二(佐藤真珠株式会社代表取締役社長)
<谷本>ジオパーク認定当初、市産品は全て、西予の豊かな自然環境の恩恵を受けて育まれているということで、「四国西予ジオの恵み」と総称してPRに取り組んでおりました。私は当時から四国西予ジオパーク推進協議会物産部会に所属していましたが、「より優れたものを選定してPRを強化しよう」との意見が部会の中であり、独自の認定ブランド制度を導入することになりました。
部会では様々な制度を参考に、西予の大地の成り立ちとの関わりを伝えるストーリー性や、市産品を主原料とする独自性、品質の安全性が保証されている等を評価基準とし、外部の有識者を加えた審査会で厳正な審査を経て商品を認定する、「四国西予ジオの至宝」という認定ブランド制度をつくりました。平成29年に最初の商品が認定されて以降、令和6年6月現在では西予市各町から計11商品が認定されており、ふるさと納税の返礼品や物販イベントでの優先販売などで積極的なPRを行っています。
<佐藤>私たちは元々、深く入り組んだ入江と宇和海の穏やかな環境を活かして、アコヤガイを養殖し真珠の生産・加工・販売を一貫して行っておりました。地域の環境保全にも積極的に取り組んでいましたが、「四国西予ジオの至宝」へ申請することを通して、私たちの地域の何が特徴的で真珠養殖を行うことができているのか、またそれは他の地域とどのように違うのかを再認識することにつながりました。
またジオの至宝の認定事業者としてジオパークに関わる中で、日本やアジア各地の研究者の方やジオパーク関係者の方が弊社を訪れるようになり、環境に配慮し自然と共存する私たちの生業をご評価いただくことが大きな励みになっています。今後もジオパークを通して私たちだけでなく西予で頑張っておられる様々な生産者の素晴らしさが多くの人に知られるようになることを願っています。
第7回 地域資源の価値を見直す
加藤雄也(元せいよ地域おこし協力隊、現:一般社団法人ノヤマカンパニー)、中村千怜(元せいよ地域おこし協力隊、現:株式会社ナイバ)
<加藤>私は、2015年4月、四国西予ジオパークの誕生から1年半ほど経ったころにジオパークに関わり始めました。ジオパークとして認定されたものの、審査時にたくさんの指摘事項(改善すべき課題)があったので、それらの解決が主なミッションでした。
最大の課題は、ジオパークとしてどんなメッセージを対外的に発信していくのかを再検討すること(テーマ、ストーリーの見直し)でした。認定審査の段階では、とにかく様々な自然資源や文化資源を地域の魅力としてアピールしていましたが、それらをジオパークの構成要素としてどのように位置づけるのか、ということを整理する必要があったのです。これは、教育や観光といったジオパーク活動の土台となる重要なものでした。
<中村>2016年3月、私は特急宇和海にのって、松山から西予へやってきました。山を越え、トンネルをぬけると、そこは一面の田んぼです。なんでこんな山の中にまっ平らな土地が?そしてこの後3日かけて、海から山までいろいろなジオサイトに案内してもらいました。「なんかすごいところに来た!」が西予と私の出会いです。
4月からの私の仕事は、ジオパークのメインテーマを作ること、そしてそれに沿って、ジオサイトの価値(地質・地形や生き物、人々の暮らし)を見直すことです。これまでの成果をまとめたり、大学や博物館の先生方と一緒に野外調査をしたりして、1つ1つジオサイトのストーリーを作っていきました。そうしたサイトの価値の整理やストーリー作りを行った成果の一つが、四国西予ジオパークのガイドブックです。成果が形となって多くの方にご覧いただいていることを嬉しく思います。
第6回 私がジオガイドになったきっかけ
宇都宮とみ子(四国西予ジオガイドネットワーク)
「ジオパーク」という言葉を知ったのは2012 年7月。歴博で「ジオパーク解説会」に参加したときでした。私が一番印象に残ったのは室戸の人が語った「室戸は貧しい地域」という言葉。室戸岬は有名な観光地だし、遍路巡りで経済効果も高いと思っていましたが、市民の多くが営む漁業では、台風の影響や海南事故も多いため生活は厳しく、それを克服するためジオパークに取り組んでいるとのことでした。
知名度も低く、観光資源も少ない西予市にとって「ジオパーク」は「売り」になる!!半信半疑ではありましたが、翌年からのジオパーク現地研修会に出席してみました。地元須崎海岸を歩き、4 億年前という途方もない昔の地層を知りました。野村や城川のV 字谷に河成段丘?と知らないことだらけ。歴史は好きですが、ジオという地球の歴史は理系の苦手な私には「難しい」科目でした。
一方、ジオガイドの活動は結構楽しいです。同じ目標を持つ仲間との出会いや新しいことへのチャレンジ。年齢も性別も経歴も関係なく、とにかく西予市が知られお客様に来ていただく要素があるならやってみようと試行錯誤する毎日を送りました。ジオガイド初のお客様は松山からバス2 台で来られたモニターツアーで須崎海岸をご案内。ジオの知識だけでなく、三瓶のことを色々とご紹介しました。お客様の「すごいね」「楽しかった」「これからもがんばってね」の声が忘れられません。
ジオガイドをはじめて早10 年。これからも楽しくジオガイドを続けたいと思います。
第5回 対話・信頼が継続した学習活動に
蒔田尚典(元地域おこし協力隊、現:環境省 大臣官房総合政策課環境研究技術室)
私が地域おこし協力隊に着任した2013 年4 月は、ジオパーク認定を目指していた時期。認定に向けて、市内の学校にもジオを学習活動に取り入れていただきました。一部の学校では、認定後も継続した学習活動が行われましたが、市内全学校に取り組みを拡大するのは難しい状況でした。しかしながら、西予市は行政全体でジオパークを進める方針が浸透していたことで転機が訪れました。ギャラリーしろかわが毎年開催している「かまぼこ板の絵」募集について、市内小中学校へ依頼する際、ジオパーク推進室も一緒にどうかと声をかけていただいたのです。
学校運営の旗振り役である校長・教頭に他校での学習活動事例や本校で実現できる学習活動などを直接説明することが、学習活動の拡大・定着、新たな展開へのきっかけとなりました。皆田小学校ではジオ防災マップ作成などの地域に根差した活動が2015 年度内閣府防災教育チャレンジプラン防災教育優秀賞を受賞。学校内での波及から地域内外への発信へと発展しました。
その後、放課後の学校へ顔を出し、校長・教頭・教員と新たな学習活動について話し合う機会が増えました。日々の対話とお互いの信頼関係が、継続した活動への布石であったと感じています。この場を通じてお世話になった方に改めて感謝を申し上げます。ありがとうございました。
第4回 ジオパークのテーマとストーリー
榊山匠(四国西予ジオミュージアム)
【ジオパークのテーマとストーリー】
日本でジオパークの取り組みが始まった当初、ジオパークの特徴である地層や化石、天然記念物や文化財、景観や生態系といった多様な要素を包括的に保全する行為は、 一般的には理解の難しいことでした。日本のジオパーク関係者は、各ジオパークのテーマとストーリーを作って人々に伝えていくことを考えました。平成25年9月24日に西予市がジオパーク認定され 、四国西予ジオパーク独自のテーマとストーリーを開発していきました。
【四国山地と宇和海が育んだ海・里・山-4億年の物語】
四国西予ジオパークの最大の特徴は、日本最古級の岩石である黒瀬川構造帯が分布していること。黒瀬川構造帯はおよそ4億年前に赤道周辺にあった古大陸の一部であると考えられています。黒瀬川構造帯を取り囲むように石灰岩などからできた地層(およそ3億年~1億5千万年前に形成)が分布。石灰岩は四国カルストの景観や明浜町高山でかつて行われていた石灰産業のように、西予の特色ある景色や歴史と深く関わりがあります。
宇和海のリアス海岸の形成も私たちの暮らしと大きな関わりがあります。リアス海岸の入江では大きな波風が立たないことが養殖業に適していること、急傾斜の斜面と降り注ぐ日光を活かして柑橘栽培が盛んなことが挙げられます。
このような四国西予ジオパークのストーリーから、私たちの普段の暮らしと大地の成り立ちがつながっていることを実感できるのではないでしょうか。
第3回 認定審査とジオパーク認定の瞬間
高橋司(四国西予ジオミュージアム)
ジオパーク活動は、2012年7月に市内のおよそ50団体からなる四国西予ジオパーク推進協議会が立ち上がり、全市挙げての活動に広がりました。3年目となる2013年に認定申請を行うことになり、4月には日本ジオパーク委員会(JGC)に認定申請書を提出。5月には千葉の幕張メッセで公開プレゼンテーションに参加しました。西予の多様な大地の魅力とそれに関係する生態系や文化の特徴、これまで行ってきたジオパーク活動などについてJGC委員を始めとする関係者の前でアピール。活動開始から2年が過ぎジオパーク出前講座やジオツアーなどの実施が200回を超え、参加者も延べ7500人を数えたことも紹介しました。西予の地域資源の素晴らしさはもちろんですが、人々の熱意がジオパーク認定への大きな力となったことは言うまでもありません。7月には3人の現地調査員が西予市を訪れ、ジオサイトおよび取り組み状況の確認などが行われ、9月24日にJGCで最終的に審議されることになりました。
運命の日を迎え、認定の可否は市長に電話で直接伝えられるということで、私たちは推進協議会の役員さんと共に応接室で待機していました。夕方5時を回った頃に電話が鳴り、全員が息をのんで見守る中、市長が受話器越しの会話をしながら見せた満面の笑顔とガッツポーズ。沸き起こった歓声と大きな拍手。四国西予ジオパーク誕生の瞬間は今でも忘れることができません。
第2回 ジオパーク認定に向けて
高橋司(四国西予ジオミュージアム)
2011年1月にジオパーク担当を命じられたものの、認定に向けての具体的な方法など思いつかなかった私は2月、当時日本でジオパークに最も詳しいといわれていた地質学者の渡辺真人さんに会うために茨城県つくば市にある産業技術総合研究所を訪れました。渡辺さんから「ジオパーク」という仕組みや認定されるための重要項目を丁寧に教えていただいたおかげで、西予市のジオパーク資源と呼べそうなものを拾いだすことに加え、市長と一緒に教育や地域活性化に活用する取り組みが必要だと感じました。
出張から戻ってくるとすぐに大勢の市民や子どもたちにジオパークを知ってもらい、一緒にジオパークを目指す雰囲気づくりを進めようと、市内で気になる場所の調査や出前講座の資料づくりを始めました。難しい言葉ではなく、ジオパーク資源を見える形で初会することに重きを置き、ジオパークの核心となる短い文章に地質や生態系、景観、暮らしなどの写真を組み合わせて、出前講座用のスライドを作成。幸いにも市長の「ジオパーク推し」が効いたようで、市内各地のさまざまな団体・組織の皆さんから「ジオパークについて知りたい」という声が多く挙がるようになりました。やがて「写真で紹介されている場所に行きたい」という声から「市民ジオツアー」がスタート。その間、関心を持つ市民や愛媛大学などから協力者も次々と現れ、ジオパーク認定に向けた体制づくりや活動が広がっていきました。
第1回 城川地質館建設とジオパーク運動へ
小出良幸(札幌学院大学人文学部こども発達学科教授)
1991年、神奈川県立自然系博物館準備室に勤務していた私のもとへ、城川町役場の高橋さん(現ジオミュージアム館長)が、地質館建設の協力依頼に来られました。それが、城川と私との付き合いの始まりでした。
1993年5月に城川町立地質館が開館し、1995年3月には神奈川県立生命の星・地球博物館も開館しました。以来、博物館同士のネットワークの研究、資料の交換・貸与、講習会やシンポジウムの実施、城川と神奈川の子どもたちの相互見学旅行などを行い、交流を続けてきました。情報発信の重要性も感じ、館内情報や活動の成果をまとめた城川町立地質館ホームページの立ち上げにも関わりました。2004年4月の合併を機に調査を通じて西予市の地質を広く全国に発信しました。
その間、私は博物館から大学へ異動し、学内でも社会情報学部から人文学部子ども発達学科へ移籍していましたが、研究休暇制度を利用して2010年4月から翌年3月まで城川に滞在。この1年間は四国各地の野外調査、西予の地質のまとめ、講演会や学校での出前授業などで西予との交流を深めることができました。
西予はもともと地質で有名だったことに加え、長年の交流と1年間の滞在が契機になって、当時の市長がジオパークを目指す決意をされ、市職員向けに地質の重要性を伝える講演会を依頼されました。以降、市を挙げて日本ジオパークへと向かうことになりました。
22年間におよぶ城川と西予との付き合いが、この地で大きなうねりとなったことに対してはとても感慨深いものがあります。
この記事に関するお問い合わせ先
ジオパーク推進室
愛媛県西予市城川町下相945番地
電話:0894-89-4028
ファックス番号:0894-89-3400
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更新日:2024年07月08日