西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-弥生時代の宇和(7)

更新日:2021年11月10日

宇和島市拝鷹山貝塚や鬼北町興野々寺山遺跡など、南予には、弥生時代にもかかわらず稲作ではなく、漁ろうや狩猟採集などを主な生業とする人々が暮らしていたことを紹介してきました。こうした地域には、次の古墳時代に古墳が作られることはありませんでした。

翻って宇和盆地では、永長上横田遺跡(弥生前期)から稲作に伴う土器のほか、開発の道具である石斧類、収穫具である石庖丁などが出土しており、弥生時代の早い段階に稲作が導入され定着した様子がうかがえます。後期の坪栗遺跡では、石庖丁のほか鍬や鋤、泥除け、えぶりなど稲作に用いる農具も見つかっていて、やはり稲作が生業の中心であったことは明らかです。宇和盆地の勢力は、北部九州の銅矛や瀬戸内の平形銅剣などの武器形青銅製祭器という貴重なアイテムも入手するなど、各地との交流も積極的に行っていました。古墳時代になると、笠置峠古墳など前期の前方後円墳が3基築かれていますし、中期、後期にも宇和盆地には連綿と古墳が営まれました。

このように宇和盆地は、古代南予のなかでも中核的な存在としての役割を果たしていたものと考えることができます。安定的な生活を支えた稲作と、先進的な文物を入手し得た各地の交流があったことが、その背景だったと言えます。

この記事に関するお問い合わせ先

まなび推進課
愛媛県西予市宇和町卯之町三丁目434番地1
電話:0894-62-6415
ファックス番号:0894-62-1115

メールフォームによるお問い合わせ