西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-古墳時代(2)
令和元年7月、大阪の百舌鳥(もず)・古市古墳群がユネスコの世界文化遺産に登録されたニュースをご記憶の方も多いかと思います。古墳とは、古い時代の土を盛って作ったお墓のことで、日本では古墳が多く築かれた3世紀後半頃から7世紀を古墳時代と呼んでいます。全国の古墳の数はおよそ16万基あるとされ、その数はコンビニの3倍に及ぶともいわれています。西予市では、消滅したものも含めて80数基の古墳があったことが知られていて、南予では断トツです。
古墳時代は、前期(ほぼ3世紀後半から4世紀後半)、中期(ほぼ4世紀末から5世紀末)、後期(ほぼ5世紀末から6世紀末)、終末期(ほぼ7世紀)の四つの時期に区分されています。西予市では、前期の古墳として笠置峠古墳、小森古墳、ムカイ山古墳が、中期の古墳として岩木赤坂古墳などが、後期古墳としてナルタキ古墳群や松ノ本古墳、樫木駄場(かたぎだば)古墳などが、終末期古墳として東大谷古墳が知られています。
古墳時代には、古墳に葬られるような地域のリーダーが出現し、広域な政治的なまとまりが形作られ、朝鮮半島から新たな文化や技術が伝わりました。そして7世紀以降の古代国家の形成につながる時代でした。次回以降、出土資料をもとに西予市の古墳時代についてご紹介していきます。
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更新日:2022年01月17日