西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-古墳時代(6)

更新日:2022年07月15日

笠置峠古墳の王がなくなると、古墳に設置した木製の棺に王の遺体が納められました。棺が設置されたのは、盛土で構築された後円部で、ある高さまで土を盛った段階で黄色や褐色の土で覆われました。このようにわざわざ視覚に訴える土を持ち込んだのは、王の遺体を棺に納めた段階で、いわば納棺の儀とでもいうべき祭祀的な行為が執り行われた証拠ではないかとの指摘があります。

木棺は蓋をされ、石や粘土で囲まれた石槨(せっかく)という施設で密閉され、その上にさらに土を盛って完全に埋められます。後円部の周囲には、後円部を保護するかのように石が葺(ふ)かれ、古墳が完成します。古墳の完成後は、石槨の上側に土器や食物をかたどった土製品が供えられ、埋葬の儀礼が行われたことがわかっています。

このように徹底的に王の遺体を密閉し、納棺の儀、埋葬の儀とたびたび儀礼をおこなったのはなぜでしょうか。そこにはやはり、当時の人々の死生観が現れていると考えられます。それは、亡くなった王の遺体に邪悪なものがとりつくと、王の死霊が悪霊化し、生きる者たちに災いをもたらすというものです。だから、木棺や石槨や盛土などで何重にも密閉し、さらに邪霊をはらう儀礼を行うなど、ソフトとハードを駆使して、王の遺体に邪霊が寄り付かないようにしたのだと考えています。

笠置峠古墳に復元された竪穴式石槨

笠置峠古墳の竪穴式石槨(復元)

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