西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-古墳時代(7)
宇和盆地では、小森古墳が古くから知られた古墳でした。大正9(1920)年の『東宇案内記』では、ひょうたんのような恰好をした全長230尺(約70m弱)の古墳だと認識されています。大正12年には、のちの考古学者・樋口清之が、古墳の西側斜面の竹やぶから銅鏃を採集し、森本六爾が『考古学雑誌』に報告しています。翌大正13年には、『愛媛県史蹟名勝天然記念物調査報告』で、西園寺源透が「小森の瓢塚(ひさごづか)」の名で、前方後圓式古墳として報告しています。昭和2年(1927)、長山源雄の依頼に応じて宇和島市や吉田町の講演会に招かれた鳥居龍蔵は、久枝大窪台出土の銅矛の拓本を取るとともに、小野田シカゴ谷の大正15年(1926)発掘の円墳や小森古墳(当時の記事には「山田村小森の前方後方後圓墳」と記されています)を視察しています。
戦後、昭和30年(1950)に宇和町の史跡に指定。昭和38年(1963)には、愛媛考古学会が測量調査や電気探査を実施。昭和63年(1988)には、宇和町教育委員会が測量調査を行っています。
このように、当初から前方後円墳として認識され、著名な考古学者たちにも知られた小森古墳は、戦後は南予唯一の前方後円墳として知られるようになりました。しかし、発掘調査でそのことが確かめられることはなく、古墳の時期も明らかにされることはありませんでした。
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更新日:2022年08月17日