西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-古墳時代(10)

甲冑を身に付けた武人(『古代史復原7古墳時代の工芸』早川和子作画より)
岩木赤坂古墳には、藤原純友の鎧が埋められているという伝承がありました。また、地元の住民により鉄片や土器片などが採集されていました。それらから平安時代の純友にまつわるものではなく、古墳時代中期の古墳であることがわかりました。
墳丘の西半分は後世に削り取られていましたが、平成7年、12年の発掘調査で土を盛って埋葬施設が作られた古墳であったことがわかりました。また墳丘の周りに幅6mをはかる溝を巡らせ、墳丘の周りには礫を貼り付けるように葺いていたことも明らかになりました。ちなみにこの溝は、7世紀頃の山津波(土石流)で埋まってしまったと想定されていて、その際に古墳の端が壊されていました。この土地の成り立ちや災害の歴史を知るうえでも貴重な事例といえます。
さて、埋葬施設からは甲冑の破片も出土しました。この甲冑は5世紀中ごろのもので、図のうち冑(かぶと)と短甲(たんこう:胴を守るベスト状のよろい)が出土しています。こうした甲冑は、畿内地方(現在の大阪、奈良、京都の一部)で生産されたと考えられていることから、赤坂に葬られた王は畿内と関係のあった武人だったのかもしれません。
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更新日:2022年12月20日