西園寺氏による宇和郡の支配
鎌倉時代、伊予国の知行国主となった西園寺氏は、伊予国最大の荘園宇和荘を手に入れ、自らの経済基盤の一つとしました。その後、時期ははっきりしませんが西園寺氏の分流が宇和に下向し、宇和郡に影響を及ぼすようになりました。しかし宇和郡は広大かつ複雑な地形を呈しており、しかも御荘氏、津島氏、河原淵氏、土居氏、北之川氏、法華津氏等の在地の国人領主が領地支配を行い一定の独自性を見せるなど、西園寺氏の宇和郡支配は盤石のものとはいえませんでした。
南予最大の戦いである永禄 11 年(1568)年の鳥坂合戦をはじめとして、16 世紀後半には九州大友氏、土佐一条氏・長宗我部氏等からたびたび侵攻を受けるなど、宇和盆地では騒乱が絶えませんでした。そのため宇和盆地には、領主西園寺氏の居城である松葉城、黒瀬城をはじめ、数多くの山城や砦が築かれました。
天正期の長宗我部の伊予侵攻に伴い、現在の野村、城川の主要な山城は落とされ、天正 12年(1584)長宗我部氏と講和した西園寺氏は黒瀬城を下城し、西園寺氏の支配は終焉を迎えました。
松葉城
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更新日:2024年10月18日