疫病対策
疫病に関する記録は、古くは奈良時代に成立したとされる「日本書記」にあります。古代、疫病は邪神のしわざにより引き起こされると考えられていて、人々はまじないでこれを収めようとしました。
明治時代以降、一部ではまだ祈とうなどが行われていたようですが、罹患者の隔離や人そのものの移動制限など、人間同士の接触を減らす対策がとられるようになりました。
明治末期に刊行された『笠置村誌』には「(笠置村のように)交通が不便だと、かえって衛生上は恐ろしいことが起こりにくい。つまり、例の伝染病のように、交通網が発達している便利な土地と同じような、いたましい災難にあう心配はかなり少ない。」(意訳)とあり、人同士の接触の少なさが感染症防止に有効だと考えられていたことがわかります。
三瓶町鴫山出身の曽我鍛(きとう)は、鴫山村では他の村からの主な道沿いに厳重な関所が設けられたこと、自身がそこで見張り役についたことを書き記しています(明治中期ころか)。もっとも、すでに多くの村で同じ対策がとられていたので、よそから人が来ることはなかったようです。
このように、疫病対策として人と人の接触を減らすことは、100年以上も前から有効な手立てとして考えられ、実践されていました。とはいえ、技術の発展した現代でさえ、誰にも会わずに生活したり移動したりすることは難しいことです。結局はマスク着用や消毒、3密対策等々の基本的な対策が重要だということです。
(広報せいよ2021年3月号より)
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更新日:2021年03月04日