西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-縄文時代の野村、城川編

更新日:2021年02月15日

西予市を海(明浜、三瓶)・里(宇和)・山(野村、城川)の3つに分けて、各時代の暮らしを紹介します。今回は、野村、城川の縄文時代です。

山が多い野村、城川に住む縄文人は、石灰岩域にできる岩陰や洞穴を、雨風をしのぐ住居として利用していました。城川町川津南にある穴神洞遺跡は、縄文時代の一番古い草創期から上洞の入り口付近が利用されていました。

岩陰や洞穴に住む縄文人は、弓矢を使って動物を狩ったり、ドングリ類を採集したりして食料を得ていたようです。城川町古市の中津川洞穴遺跡からは、石の矢じり(石鏃)や、石器を作るときに出る石くず(剥片)が出土していることから、ここで石器を作っていたことは明らかです。穴神洞遺跡からは、シカやイノシシ、ウサギ、タヌキなどの骨が出ています。遺跡の近くには川が流れていて、そこでとれるシジミやカワニナなどの貝類も食べていたようです。周りの自然環境をよりどころとした生活を営んでいました。

穴神洞遺跡からは、アマオブネやヒオウギ、ハマグリ、ヒラマキガイモドキ、オキシジミ、イガイ、ツノガイなどの海でとれる貝やそれらを使った装飾品が出土しています。このことから、海に生きる人たちとも交流があったことが分かります。山の暮らしを根拠にしながら、自分たちが持っていないものを求めて、遠くの人たちともつながっていたのです。

(広報せいよ2021年2月号より)

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