西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-縄文時代の宇和
西予市で縄文時代と言えば、明浜の釣針や城川の洞穴遺跡と相場が決まっているように思われがちですが、宇和盆地からも縄文時代の遺跡や遺物が見つかっています。
洞窟岩陰遺跡としては、深山洞穴遺跡(稲生)や城楽岩陰遺跡(西山田)などが知られています。城楽岩陰からは、前期の羽島下層式土器(瀬戸内系)、轟式土器(九州系)、後期の平城式土器が採集されています。平地の遺跡では、永長遺跡や久枝遺跡から中津式土器、福田K2(2はローマ数字)式土器など後期の瀬戸内系の土器が採集されています。ただ、これらの遺跡はどれも発掘調査が行われていませんので、遺跡の内容ははっきりしていません。いずれにしても九州や瀬戸内の文化の影響を受けていることは明らかです。
一方で、縄文後期の南予の土器は、高知県幡多地域の土器と共通している点がみられることから、四国西南部の文化的一体性はこの時期には始まっているとの指摘があります。山田細狩遺跡(山田)からは、縄文晩期の刻目突帯文土器が出土していて、この土器は稲作が導入される直前の土器としても重要な意味を持ちますが、弥生時代中期に宇和盆地を含めた四国西南部に展開する西南四国型土器の祖型となった土器としても知られています。
このように、当市の縄文土器を見てみると、九州や瀬戸内の間に位置し両地域の影響を受けながらも、縄文後期以降、独自の文化を作りあげていく四国西南地域の歴史的な特徴がうかがえるのです。
(広報せいよ2021年4月号より)
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更新日:2021年03月19日