西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-弥生時代の宇和(4)

更新日:2021年07月17日

弥生時代の宇和盆地に特徴的な考古資料の一つに、銅矛と呼ばれる武器形の青銅器があります。


銅矛は、本来は柄を装着して相手を突く武器でしたが、日本に伝わると徐々に大型化して祭りの道具になっていきました。生産地は北部九州で、西日本に広く分布しています。中広銅矛と呼ばれるやや大型化した段階には、北部九州-豊後・豊前-四国西南部へと広がりました。


宇和盆地においては、江戸時代の記録から40数本の銅矛が出土したと解釈する向きもありますが、杢所や久枝大窪台出土品などから、5本の出土はまちがいないとの指摘があります。広形銅矛と呼ばれるもっとも大型化した段階には、宇和盆地では、平野部から見上げる丘陵の頂よりやや下がった地点から出土します。これは九州の豊後と似たあり方で、宇和盆地までは銅矛だけでなく銅矛がもつ意味も伝わっていたものと思われます。これが土佐の窪川に伝わると、低地からの出土にかわります。

当時、重視された青銅器が複数出土していること、銅矛のもつ意味も伝わっていることなどから考えて、宇和盆地は、九州と西四国をつなぐ拠点として重視されていたと思われます。ちなみに西予市では、野村町渓筋から銅矛が1本出土しています。
 

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