西予市の暮らしを時代、地域別に紹介-弥生時代の宇和(5)
弥生時代の宇和盆地では稲作が行われていたことはすでにご紹介したとおりです。水田の跡は見つかっていませんが、稲作文化に伴う土器や収穫に使う石庖丁などの石器類が出土しています。では、宇和盆地以外の南予ではどうだったのでしょうか。
宇和島市拝鷹山貝塚は、標高107mの丘陵上に位置する弥生時代中期~後期の遺跡です。同貝塚からは、ハマグリ、ハイガイ、ヒメアカガイ、サザエ、スガイ、ヘナタリなどの貝類が出土しましたが、貝殻の重さで見ると9割以上をマガキが占めていました。かつては麓は入り江であったと考えられ、ここに居住した人々は、麓の岩礁でマガキを採集して集落内で消費していました。居住地の周囲には森林が控えており、ここからは様々な植物性食物を採集していました。また石鏃も出土していることから、狩猟も行われていたことは明らかです。
つまり、拝鷹山貝塚の弥生人たちは、山野で動植物を獲得し内湾で魚介類を獲得する生活を営んでいた集団だったのです。こうした遺跡は、宇和島市津島町通り山遺跡、長松寺遺跡。高知県大月町ムクリ山遺跡など四国西南部に複数あります。弥生時代の後半に入るころであっても、稲作を生業の中心としない集団が存在したのです。
この記事に関するお問い合わせ先
まなび推進課
愛媛県西予市宇和町卯之町三丁目434番地1
電話:0894-62-6415
ファックス番号:0894-62-1115
メールフォームによるお問い合わせ
更新日:2021年08月18日