県指定 鴫山菊池家文書-

更新日:2018年07月06日


よ み:しぎやまきくちけもんじょ

所在地:西予市三瓶町津布理

所有者:個人

指定年月日:平成21年3月31日


 

近世は宇和島藩に属し布喜(ふきの)(かわ)鴫山(しぎやま)組(現西予市三瓶町鴫山)に居住し組頭を務め、明治中期には()()()村(現西予市三瓶町津布理)に移住した菊池家に伝わる文書群。鴫山は、中世には「重山」と称され矢野保に属し、近世には布喜川村として宇和島藩領に属した。

中世文書(『重山文書』)は、康永4年(1345)、文和3年(1354)、貞治(カ)3年(1364)、応永26年(1419)、年不詳の5点で、南北朝から室町時代にかけての土地の権益関係を示す。特に在地の民衆の様子なかんずく土地所有者や当時の地勢が垣間見られる点で貴重である。また『重山文書』の巻子の最後には、神仏号や紋章を描いた小型の旗(流旗(ながればた))が収められており、戦国期の在地土豪が実用したと思われる現存例として貴重である。なお、同様の流旗が西予市宇和町皆田宇都宮氏の子孫に伝わる。

近世以降は延宝8年(1680)から文久3年(1863)までと明治期の文書119点からなる。土地売買、金子貸借、(がっ)(ぱい)受取に関する私的な文書が大多数を占める。組頭を務めた家の私的な文書が、ある程度まとまって残存する例は県内では珍しい。

(参考:土居聡朋1999「愛媛県西宇和郡三瓶町鴫山菊池家文書の調査」『研究紀要』第4号、愛媛県歴史文化博物館/山内治朋「『鴫山菊池家文書』(中世文書『重山文書』を含む)調査概要」)

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