市指定 紀貫之の墓

更新日:2018年07月06日


よ み:きのつらゆきのはか

所在地:城川町土居

所有者:報恩寺

指定年月日:昭和57年3月26日


 

土居報恩寺横の馬場の墓地、六地蔵のすぐ右に小径を数歩あがると、右手に苔むした墳墓が数基ならんでいる。前列4基、後に1基と都合5基の墓が天正の昔を偲ばせるかのように静かにならんでいる。寄りつきの五輪は永(長)山伯耆守の墓と言い伝えられてはいるが、これは身代わりで討死した島治右衛門のものではないかとも言われている。

また、そのうちの一つの墓石の台石に紀貫之の文字の彫りが見え(現在は判読不能状態)里人をおどろかせた。三滝城主紀親安公は紀貫之の末裔と言われ、紀家は遠く武内宿彌を祖とする名門であり、代々大臣・納言・参議・さらに皇妃に列する人々を輩出するが、特に紀貫之は『土佐日記』や歌人としてすぐれて有名である。貫之自身の墓はこの地にあるはずはないが、すぐれた先祖を誇りに思い、それを偲んで先祖追悼の深い想いから「おがみ墓」として関係地に建てられたものの一つであろうと言われている。

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