市指定 龍澤寺

更新日:2018年07月06日


よ み:りゅうたくじ

所在地:城川町魚成

所有者:龍澤寺

指定年月日:昭和38年3月22日


 

兎門山龍澤寺は、末寺56ヶ寺に及ぶ曹洞宗總持寺派中本山の巨大な寺である。開基は、今から680年前鎌倉時代終わりごろ後醍醐天皇の元享3年(1323)、地方の豪族中尾坂城主(たいらの)(うねめの)正吉(かみよし)(さだ)の発願により徳翁正呈禅師が開山し、龍天寺と号し、古奈良谷(現鬼北町御開山)にあったが、その後荒廃していたものを、仲翁守邦禅師によって再興された。この中興の仲翁守邦禅師は九州島津元久の長男(幼名梅寿丸)で、ゆくゆくは大藩の主となる人であったが、幼児から仏心厚く、13歳で仏門に入り成道して後、九州香花院福昌寺の第三世となった。50歳の時遊下し、魚成村に脚を止め、当時衰微していた龍天寺を大島津の財力をバックに再興した。

現在の地奈良谷に寺を移し、龍澤寺と改号したのは、室町時代後花園天皇の御宇で、時の住職第四世蒲庵和尚が龍ヶ森城主豊後守通親の協力によって、康正元年(1455)に工を起こし、およそ30年を費やし七堂伽藍を建立したものである。戦国期には、小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎などに特別の庇護を受け、天正13年(1585)小早川隆景からは龍澤寺への濫妨狼藉を禁じた制札を受けている。

寛政10年(1798)火災に遭い殿堂残らず焼失した。この際は、宇和島藩6代藩主伊達村寿公のおびただしい寄進によって、享和3年(1803)本堂の再建をはじめとして、33年の歳月を費やして、今日の荘厳雄大な大伽藍が再興された。再建にあたっては、周防大島から渡ってきた岡田家一族が龍澤寺大工として手腕をふるった。山門は初代久吾右衛門、久太郎親子が棟梁を務め、10年の歳月をかけて建立した。

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