市指定 甲が森城跡

更新日:2018年07月06日


よ み:かぶとがもりじょうあと

所在地:城川町土居

管理者:土居総務区長

指定年月日:昭和47年8月28日


 

永(長)山伯耆守豊綱の居城が甲ヶ森城であり700石とある。

紀貫之の子孫で第30代紀実定が北朝の後小松院に仕え、南北統一(1392)の後にこの地に来て城主になったといわれる。戦国時代実次の代に、三滝城を本城とし甲ヶ森を支城として、永(長)山伯耆守(豊綱)が甲ヶ森城の城代となった。天正11年(1583)正月13日、土佐の長宗我部元親勢に攻められ、伯耆守はこの城を枕に討死したとの説が通説であるが、他の資料には異説もありそれには「天正11年元親の攻めにあい防戦及ばず城は落城寸前にあった。城代伯耆守は討って出て討死せんとしたが、家臣島治右衛門がこれを押しとどめ、伯耆守の甲胄を我が身につけ身代わりとして討死した。主家の再興を願う忠臣島治右衛門の心をくんで、伯耆守は城外に落ちのび、郷里の土佐芳生野(現・高知県津野町)で余生を過ごした…」ともあり、現に伯耆守の墓が津野町には存在する。三滝城主親安の愛妾菊の方のこの甲ヶ森城での猛火の中での自害など、落城悲話のこもごもが伝えられる。

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