市指定 木造十一面観音菩薩立像及び脇侍

更新日:2018年07月06日

木造十一面観音立像及び脇侍

よ み:もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞうおよびわきじ

所在地:西予市野村町次の川

所有者:西明寺

指定年月日:昭和43年1月22日


 

像高114.4センチメートル、髪際高106.5センチメートルを測る三尺をやや凌駕する法量を有する観音像。専業仏師の作とは思えない素朴な作行きであるが、伏目の面相や肉取りを抑えた体軀の造形などに、平安時代後期の風が感じられる。背面は削ぎ落としたようなかたちであるが、両腕の大半を含めて一材から彫成する構造は古様で、横顔の表情には厳しさがあり、平安時代中期の趣を感じさせないでもない。ただし非専業仏師の手になったものとすれば、それゆえに古様を留めることもありうべき想定であろう。今は十一世紀を降らぬ頃の制作かと推定しておきたい。

なお十一面観音像の形相として二臂で合掌する像容はやや例外的であろう。儀規から逸脱したこのような点や、天衣の表現に矛盾をはらむ点も、これまた非専業仏師に帰すべき事柄かと思われる。

脇には不動明王と毘沙門天が侍る。不動明王立像は像高103.0センチメートル、髪際高94.2センチメートルを測る。髪際高三尺の立像である。失われた両前膊は、左腕はゆるく垂下して羂索を、右腕は屈臂して剣を執ったものと見られる。頭頂に莎髻を結い、巻髪とし、額に水波相を表し、左右の眼で視線が上下別方向に向く天地眼であること、閉口した口もとから左右各一牙がのぞき、これまた上下逆方向を向く牙上下出相を表すことなど、平安時代初期(9世紀後半)の天台僧安然の感得したという、いわゆる不動十九観様にのっとった図像である。彩色の詳細は不明だが、おそらくは肉身を青く彩った青不動であったと思われる。

抑揚を抑えた体軀の肉取りや、浅めに整えられた衣文の彫法、動きを控えた静かな姿勢などに平安時代後期(12世紀)の作風が認められるが、やや鄙びた作風を考慮すれば、古様を残しつつも実際の制作期はやや降る可能性が考えられる。

毘沙門天立像は増高100.4センチメートル、髪際高87.9センチメートルを測る。不動明王立像と一具同時の制作と見られる。同じく平安時代後期の風が顕著ではあるが、丈高で上部正面に花飾りを表す宝髻の形式は12世紀後半に現れ、鎌倉時代に主流となるもので、本像の実際の制作年代がその作風の示すところより若干降るのではないかと思わせる。

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