江戸時代の地形模型

更新日:2023年10月24日

かつて山は、建材や肥料、食料を獲得できる宝の山だったので、自分たちが自由に利用できる土地をどこまで確保できるかがとても大事で、隣接する村浦の間ではよく境界争いが発生しました。宇和島藩では、こうした争い(争論)が起こると、木彫りの立体的な地形模型を作製しました。明浜歴史民俗資料館に展示されているこの資料は、吉田藩俵津浦(現在の明浜町)と宇和島藩東山田村、野田村、伊賀上村の3ヵ村(現在の宇和町)との間で起こった境界争論に関して作製されたものです。

京都府立大学の上杉和央先生によると、こうした江戸時代の地形模型は全国に11例しか知られておらず、そのうち5例が伊予に関するもので、しかもすべて宇和島藩が関わっているとのことです。非常に精巧に作られており、縮尺はおよそ三千百分の一。山がちで複雑に入り組んだリアス海岸と平坦な宇和盆地の地形を比較するうえでもわかりやすい資料です。

争論の顛末ですが、俵津浦は分水嶺を境界と主張するのに対し、宇和3ヵ村は分水嶺からやや下った場所を境界と主張。結局、宇和側の主張が通って、分水嶺から境界までは入会地(双方が共同管理する土地)となりました。なお、愛媛県歴史文化博物館の「絵図・絵巻デジタルアーカイブ」というホームページでは、文政4年(1821)に作られたこの争論に関する裁許絵図が公開されています。

江戸時代の地形模型(市指定「木彫りの立体地図」)

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