石灰窯を構築する素材-明浜歴史民俗資料館の展示から-

更新日:2023年11月13日

写真の左にある4つの土くれ。これは、明治初期に木炭を燃料として石灰を焼いていたといわれる岩井の石灰窯から出土したものです。赤褐色で、固く焼けしまっていて、一部には植物が混入したような痕跡も見て取れます。聞き取りによると、これは粘土を直方体状にして、石灰窯の炉壁に使用した「窯玉」というものだということがわかりました。

高山の事例では、客登り(通称:びやくび)と呼ばれる場所で、窯玉用の白色の粘土を採取し、昭和30年代後半まで石灰窯の壁に使用したそうです。窯玉の作り方は次のとおり。まず、1.水を入れつつ粘土を大玄翁(げんのう)で叩き潰し、石をよける。2.潰して長靴で踏む。鍬で裏返しては踏む。3.長方形のサイコロ上に形を整える。4.焼成せずに、石灰窯の炉壁に使用する。そして窯を構築するときは、窯玉同士のつなぎ目を指でなでて消し、木槌で叩きしめる。乾燥してひびが入ってきたら、再び叩きしめこれを繰り返すそうです。

一方、宮野浦のある石灰窯からは、写真右側のようなアルファベットが刻印された煉瓦(レンガ)を採集しています。残されたアルファベットは「□AWA」で、窯に使用されているレンガから「SHIASGAWA」の刻印だということが分かります。白煉瓦と呼ばれた耐火レンガと思われ、明治36年(1903)には伊勢勝白煉瓦製造所を前身とした品川白煉瓦株式会社が創立されており、日本の近代化を支えたレンガが明浜にももたらされていたことがわかります。

資料館では地味で目立たない存在ですが、明浜の石灰産業が地元の地形・地質、そして粘土まで活かした産業であったことを教えてくれる良い資料です。

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