平成30年度第5回歴史文化講演会を開催しました。

更新日:2019年04月03日

平成31年3月16日(土曜日)、今年度最後の第5回歴史文化講演会を開催しました。

第5回では、香川大学創造工学部助教の釜床美也子先生に「文化的景観としての狩浜の建築物」と題してお話しいただきました。

同じ西予市明浜町の他の集落や北宇和郡松野町奥内との比較などを通して、狩浜の特徴をより鮮明にしてお話しいただきました。

【要旨】

狩浜における人々の生活や生業と風土と建築の関わりを調べた。全882軒の建物を確認し、37軒65棟を実測した。伝統建築は53棟(住まい20棟、付属小屋33棟)、現代建築として柑橘小屋がある。

屋敷配置(屋敷構え)は、主屋や小屋を敷地いっぱいに建てるのが狩浜流。漁村のように道からすぐ建物に入る町屋的建物は2棟のみ。農漁村の名称がふさわしい。狭いスペースも大事な作業場で農作物の乾燥に利用した。不足する場合は共有地である浜を利用した。長屋門は2軒。小屋や納屋に出入り口を設ける門構えのようなものがある。

主屋は明治期以前は平屋。明治以降瓦葺き。明治中期以降、せがい造り(出桁)が多いのも狩浜の特徴。真壁、縦羽目板多いが、徐々に軒下を塗り込めたものやあらわし(垂木を見せる)にしたもの、舟板張りなどがみられる。隣家と接しているところなど、必要なところを真壁にしたり塗り込めにしたり要所要所の防火を図るなどするのは密集した集落ならでは。

主屋の間取りは並列二間取り(近世~明治前期)から納戸付三間取り(明治前期~中期)に変化し、明治中期以降続き座敷三間取りに変化する。ナカノマは仏壇等で仕切り、奥の間を寝室などとする。縁側を設けるタイプも発生。のちに奥の間の壁に開口部を設け採光・換気に利用する場合もあり、格子が施される。妻側の開口部を持つのも狩浜の特徴。大正から昭和前期には2階建てで養蚕に利用するものが出てくる。

養蚕の建物は、居宅兼蚕室のオリヤ養蚕、専用蚕室の養蚕小屋などがあり、気抜き、欄間、せがいづくり、床下の吸気口、火炉(暖炉)、障子、天井や床の換気口などの要素を持つ機能的な造り。桑の貯蔵は床下のクワツボから桑納屋へ変化。土蔵造りの大壁で窓は小さく、地下に1mくらい掘り下げるなど桑の保存に適した造り。養蚕建物の各要素は、各家によって採用される要素がバラバラ。

隠居慣行は南予によく残っており、納屋の一角にヘヤがあるものが多い。付属小屋もバリエーション多い。蔵(土蔵)のほかウチグラ(醤油、味噌など保管)というものもある。クラとヘヤが一体のものもクラとナヤが一体のものもあり珍しい。櫨蔵も1棟残る。機屋、イリコ納屋、ミカン倉庫なども。

狩浜は過去の生業の痕跡が残る建物が多く、しかもバリエーションが多いのが特徴で、集落内で調和している。