令和元年度第1回歴史文化講演会を開催しました

更新日:2020年02月26日

2月22日(土曜日)に、今年度第1回目の歴史文化講演会を開催しました。

今年、戦後75年を迎えるということもあって、近代以降の戦争について正しく知ることを目的に4名の講師にお願いして講演会を開催します。

第1回目は、西予市文化財保護審会委員長であり、愛媛県の近代化遺産総合調査で主任調査員を務められた岡崎直司さんに、「近代化遺産から見た戦争」というタイトルでご講演いただきました。

会の冒頭には、西予市城川文書館が所蔵する「魚成村文書」の戦時中の史料や、岡崎さんが持参された当時のリュックや拍子木などを実物資料をもとに話がありました。

講演では、戦争末期に設置された宇和盆地の飛行場のはなしをはじめとする県内外の戦争遺産の説明、戦争遺産を文化財指定するなどして残し、戦争の正しい歴史を後世へ引き継いでいくことの重要性を学びました。

第1回目の様子は、令和2年2月27日午後7時から西予CATVで放映予定です。

また、第2回目は、令和元年2月29日(土曜日)多田仁さんによる「戦争と若者たち-防空監視哨を中心として-」です。

【講演要旨】

戦争末期、宇和盆地(永長)には、陸軍の秘とく飛行場が建設された。特攻用の飛行場で、アスファルトで舗装されたようなものではない。大洲、鬼北、重信、丹原などにもつくられようとしており、全国に本土決戦の日(特攻)が迫っていたのである。こうした歴史を伝える石碑などを設置する必要があるのではないだろうか。石城公民館や多田公民館には戦没者の遺影が飾ってある。経緯がよくわからない面もあるが、珍しい顕彰事例だと思う。

愛媛県には、豊予要塞や芸予要塞が設置された。由良半島の先端にも要塞が築かれ、宿毛から旧西海町にかけての宇和海沿岸には、人間魚雷回天や蛟龍の基地が何ヶ所も設置された。三崎には砲座や弾薬庫、軍艦波止などが現存する。来島海峡小島砲台の23インチクルップ砲は、日露戦争の際、二〇三高地で有名な旅順攻撃のために移動させたという逸話がある。

松山の掩体(えんたい)(ごう)は、先般ようやく関係者の努力で市指定文化財となった。戦争遺産の文化財指定はハードルが高いことが多いが、お隣の高知県では早くから指定が進められている。戦争について正しく知るためには、大事な取り組み。指定し保存して、こうした歴史があったことを伝えていく必要がある。

空襲から避けるため、建物の白壁を黒く塗る戦時迷彩も残されている。天皇の御真影を納めた奉安殿は、戦後GHQにより取り壊されたが、県内には残されているところもある。城川文書館所蔵の文書には、奉安殿の設計図や新設の認可をめぐる文書があり貴重。八幡浜菊池清治邸の棟札(明治6年、2533年)、宇和島駅跨線橋に使用される廃レール(2601年)などには、皇紀の年号が記されている。

こうした戦争の歴史を、基礎的な知識も含め正しく理解し、後世に伝えていく必要がある。

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