【里山】天然生林

更新日:2025年06月27日

天然生林

昔から山林と人間の暮らしはともにありました。

今も残る天然生林は、地域の生活史を知る上でとても重要です。

 

明治時代はじめ頃、狩浜の山はほとんどがアカマツ林だったことが当時の畝順帳からわかっています。

アカマツは樹脂を含むため火が着きやすく、薪や炭などの燃料にされたほか、松明(たいまつ)として灯火にするなど、当時の生活に欠かせない資材でした。

明治時代に盛んに行われていた夜漁の際の集魚灯や、煮干し製造や網染めの燃料としてもマツ材が用いられるなど、当時の狩浜の漁業を支えた要因の一つとして、集落背後に広がるマツ林の存在もまた重要なものでした。現在もごくわずかに、アカマツの植生が残っています。

同じく明治初期頃、山と畑の間にはハゼが多く広がっていました。これはまだ狩浜が伊予吉田藩領だった頃、木蝋の販路を広げたい吉田藩が蝋の原料であるハゼの栽培を領地に勧め、狩浜にハゼ畑が広がった名残です。現在もごくわずかに、林や段畑内でハゼの残存木が見られます。

 

現在の植生は、ヤブニッケイやヒメユズリハ、ホルトノキなどが優占する常緑広葉樹林、ウバメガシ林、コナラ、アベマキなどが優占する落葉広葉樹林などが多くを占めています。

なかでも現在の落葉広葉樹林は、明治初期にアカマツ林だった範囲に多く見られることから、燃料としてのアカマツ需要が低下し始めた頃に育ち始めた多種の広葉樹が、薪炭材として伐採されるアカマツに変わって、次第に優占していったものと考えられます。

お伊勢山から西部の海岸にはダンチク群が生育し、背後のミカン園の防風林の役割ももっています。
 

参考文献

『西予市文化的景観調査報告書』(西予市教育委員会/2018)p.182~193

『愛媛県史 近世 上』(1986)第9節「四 吉田藩の勧業政策」データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム

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