【里山】山田

更新日:2025年06月27日

山田(馬ころばし)

水が貴重な資源であった狩浜では、江戸時代、わずかな水も利用しようと谷沿いに田畑を作ることに力を入れた結果、山頂付近にまで至りました。

山頂付近の山田・山畑は日照や水はけの条件が悪く柑橘栽培に向かないため、現在は放棄されていますが、当時の石垣の姿はまだ残っています。

 

とりわけ興味深いのは、その急峻さから「馬ころばし(マコロバシ)」と呼ばれる場所にある山田です。

この山田は最高所にありながら、石垣の高さは約8メートルもあり、狩浜の石垣の中では最大規模を誇ります。まるでお城のように大きな石垣は、幕末から明治にかけ、石垣造りの名人と呼ばれた上村與十郎によって築かれました。

山田は、沢を砂防ダムのように石垣でせき止め、その中に粘土質の田土を入れて作られます。これは、山頂付近という立地上、沢の水量がほとんどないからこそできる工法です。また、雨後の大水の際には脇から排水できる仕組みになっていました。したがって、山田は年中ぬかるみの状態でした。

石は、両手を広げて抱えるほどの大きなものが随所に使われています。これらはもともとの沢に豊富にあったもので、下へ下へと下ろしながら石垣を築いたものであり、高い技術がないとできません。

 

一般的に、稲作は広い耕地と豊富な清流があり、水はけの良い土地が好まれますが、不利な土地条件を逆手に取り、限られた資源を最大限活用するための工夫とわざは、狩浜の農業の歴史を知る上でも特筆に値し、欠くことのできない構成要素です。

 

また、馬ころばしから尾根を隔てて反対側にある「八水(はちみず)」という場所にも山田の跡があり、高さ約3メートルの石垣が残っています。この石垣は現在の狩浜の段畑で見られる石垣と同じ技術が使われていることから、狩浜の石垣の積み方は江戸期から完成していたと言えます。

 

 

参考

『西予市文化的景観調査報告書』(西予市教育委員会/2018)p.215、218~220

山田

馬ころばし(マコロバシ)の山田

馬ころばし

八水(はちみず)の山田

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