【集落】櫨倉

更新日:2026年01月14日

櫨(ハゼ)の実の貯蔵専用の倉庫で、狩浜の生業の変遷を辿る上で重要な建物です。

ハゼの実はろうそくの原料となるため、江戸時代の日本において重要な換金作物でした。18世紀半ばごろから松山藩、大洲藩、宇和島藩で唐櫨(トウハゼ)の栽培が推奨され、宇和島藩では延享2(1745)年にハゼの種子が全領に配布されています。狩浜が属していた吉田藩では、安永期(1772~81年)から植栽が勧められました。全盛期、吉田藩領内には70~80軒の製蝋家があり、40万貫以上の櫨実が生産されたとのことです。

狩浜で知られるハゼ栽培者として、大阪屋伝兵衛がいます。寛政5(1793)年に狩浜で生まれた伝兵衛は、良質なハゼを接ぎ木によって増やす技術を身につけ、「伝兵衛ハゼ」という名で広まったといいます。天保13(1842)年の検地野帳には、狩浜で94筆(計8反4畝…約8000平方メートル、コンビニ約80店舗分)のハゼ畑の開作があったとの記載があり、ハゼ栽培の隆盛がうかがえます。

明治期に入り、カンテラやランプなどの化石燃料を用いる灯火具が用いられるようになると、ろうそくの需要が少なくなり、ハゼの生産は下火になります。狩浜においては、不漁期の漁業収入を補うため、ハゼの現金収入は村経済の死活を握っていましたが、ハゼ収入の少ない家は反物の行商によって補いました。

調査時のヒアリングによると、採取した櫨の実はそのまま1階に貯蔵され、出荷の際に掻き出して俵に詰め、浜から帆掛け舟で出荷していたようです。2階は物置として使われていました。かつての狩浜には多数の櫨倉が建てられていたようですが、現存するのは本浦の1棟のみとなります。

木造二階建、梁間2間、桁行2間の切妻造、瓦葺、内外ともに真壁(注1)の土壁造で、内部は中塗り仕上げ(注2)、外部は漆喰塗り仕上げとなっています。

 

参考 『西予市文化的景観調査成果報告書』(西予市教育委員会,2018)p.71、p.204~205、p.213

櫨倉

南側から撮影

櫨倉2

北側から撮影

真壁と大壁真壁のちがい

(注1)真壁(しんかべ)…柱や梁などの構造材が見えるように納める壁のこと。日本の伝統的な工法。構造材が空気に触れて温湿度が調整しやすく、耐久性や通気性に優れている。

大壁(おおかべ)…柱や梁などの構造材を内部に隠し、見えないように納める壁のこと。断熱性、耐震性が高い一方、壁の内部に湿気がこもりやすい。

 

(注2)中塗り仕上げ… 左官・塗装工事においては、下塗り(下地)→中塗り(補強)→上塗り(仕上げ)の工程で塗られるが、上塗りを行わず、中塗りの工程を最終仕上げとする仕上げ方。素朴でざらついた質感が特徴。主に土壁などで見られ、自然な風合いやコスト、工程短縮のために採用され、「中塗り仕舞い」とも呼ばれる。

中塗り仕上げ

「機屋修繕ワークショップ」での中塗りの様子

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