楠本イネについて

更新日:2024年07月10日

楠本イネについて

シーボルトの娘で、日本初の産科女医となった「楠本イネ」の生涯を紹介します。

【楠本イネ】

長崎出島に赴任していたドイツ人医師シーボルトと日本人妻の楠本滝の娘として、1827年長崎に生まれる。

父シーボルトは、イネが2歳の時日本を追放され、幼少期は母のもとで暮らす。

18歳の時、向学心から、シーボルトの弟子であった二宮敬作を頼り、この地(西予市宇和町卯之町)を訪ねた。

敬作の下で医学を学び、数ヶ月後、産科修行のため岡山に向かう。その後、28歳で再び敬作に師事し、卯之町、宇和島、長崎と敬作に同行。共に開業し、多くの人を助けた。

47歳で宮内庁御用掛になるなど、高い医術を持ち、日本初の女性産科女医といわれる。

読書をするイネ

大洲市立博物館所蔵

 

西予市では、イネが少女期を過ごし医師を志したまちとして、イネの偉業を顕彰し、医学研究や医療活動に活躍する女性を奨励することで、社会における女性活躍躍進に繋げ、かつ地域の活性化を図るために「西予市おイネ賞事業」を実施しています。

 

楠本イネの生涯について

シーボルトの娘で、日本初の産科女医となった「楠本イネ」の生涯と、イネが医学を学んだ地である「卯之町」を紹介します。

楠本イネの新事実~母、タキの手紙から~

平成28年1月16日(土曜日)、西予市教育保健センターにて西予市歴史文化講演会の第1回目が開催されました。 講師は、元東海大学講師でシーボルト研究者の石山禎一(よしかず)先生で、「おタキの手紙から見た娘イネ-未公開の二つの史料から-」と題して講演いただきました。   石山先生からは、母タキがシーボルトに宛てた手紙から、 1)イネが初めて卯之町を訪れた時期と滞在期間 2)イネの幼少期の性格と母タキの教育 3)シーボルト事件をタキはどう受け止めたか、などについてお話しいただきました。 特に、1)についてはこれまで諸説あったこともあって、約160名の出席者は関心を寄せていました。  

講演会の様子1
講演会の様子2

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