楠本イネについて
シーボルトの娘で、日本初の産科女医となった「楠本イネ」の生涯を紹介します。
【楠本イネ】
長崎出島に赴任していたドイツ人医師シーボルトと日本人妻の楠本滝の娘として、1827年長崎に生まれる。
父シーボルトは、イネが2歳の時日本を追放され、幼少期は母のもとで暮らす。
18歳の時、向学心から、シーボルトの弟子であった二宮敬作を頼り、この地(西予市宇和町卯之町)を訪ねた。
敬作の下で医学を学び、数ヶ月後、産科修行のため岡山に向かう。その後、28歳で再び敬作に師事し、卯之町、宇和島、長崎と敬作に同行。共に開業し、多くの人を助けた。
47歳で宮内庁御用掛になるなど、高い医術を持ち、日本初の女性産科女医といわれる。
西予市では、イネが少女期を過ごし医師を志したまちとしての「縁」を重んじ
イネの偉業を顕彰し、女性医師を奨励することで社会における女性活躍躍進に繋げ、
且つまちづくりのツールとして位置付けた「西予市おイネ賞事業」を展開しています。
第7回 西予市おイネ賞事業 表彰式典・シンポジウムの様子↓
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更新日:2019年05月07日