「平成30年7月豪雨災害 西予市追悼式」市長式辞及びご遺族代表のお言葉について

更新日:2019年07月12日

平成30年7月豪雨災害から1年となる令和元年7月7日に、西予市立野村小学校体育館にて追悼式を執り行いました。

追悼式には、ご遺族、各方面の関係者の方々、一般参列者など約320名の方が参列されました。

管家一夫西予市長は、お亡くなりになられた方々への追悼の意やご遺族へのお悔やみ、被災された皆様へのお見舞いを述べたのち、支援を賜った各方面の関係者の皆様への感謝と復興への決意を新たにしました。

次第

1 開式の辞               西予市副市長 宗 正弘

2 黙祷

3 式辞                     西予市長 管家 一夫

4 追悼の辞

・愛媛県知事            中村 時広 様

・愛媛県議会議員      兵頭    竜 様

・西予市議会議長      菊池 純一 様

5 追悼電報の奉呈

6 ご遺族代表のお言葉    小玉 恵二 様

7 献花

8 「のむらのうた」の合唱 野村小学校合唱部、野村中学校の生徒

9 閉式の辞               西予市教育委員会教育長 松川 伸二

西予市長 管家一夫 式辞

本日ここに、平成30年7月豪雨災害追悼式を挙行するにあたり、西予市を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。

平成30年7月豪雨災害から、1年を迎えました。

この豪雨災害により、お亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りするとともに、ご家族、ご親族、関係者の皆様に対しまして改めて哀悼の意を捧げます。

また、多くの家屋や田畑など、日常の営みに欠かすことのできない大切な財産を失った皆様に、重ねてお見舞いを申し上げます。

さて、西予市を襲った、かつてない記録的豪雨は、多くの爪跡を残しました。沿岸部である明浜町・三瓶町では、ミカン山の崩壊やがけ崩れ、河川の氾濫、国道378号線が崩落し、集落が孤立いたしました。

宇和町では、水源地が土石流により崩壊し、長期の断水が発生しました。また岩木地区と明間地区では裏山が大規模に崩落し家屋が倒壊しました。現在もなお避難指示が解除できない状況にあります。

山間部の城川町においても、多くの山腹が崩落し、家屋の倒壊や通行止め、河川も氾濫して孤立する集落が発生いたしました。

特に被害が大きかった野村町では、急激な増水により肱川が氾濫し壊滅的な被害を受けました。かけがえのない大切なものを失ったばかりでなく、心にも大きな傷を負いました。

このように、7月豪雨災害は西予市全域において、物心両面にわたって、甚大な被害をもたらしました。

災害の恐ろしさをまざまざと体感したと同時に、同じような災害が二度と起こってはならないと強く心に誓ったところであります。

そのような中、各界、各方面から多くの支援をいただきました。

国、県、各自治体からは多く人的派遣をいただき、復旧・復興業務が進めることができました。

特に対口支援でご協力いただきました熊本市におかれましては、熊本地震からの復興のさなかにもかかわらず、発災当初から多くの職員の方を長期間にわたり派遣いただき、大規模災害からの復旧、復興に関するノウハウを伝授いただき、我々を導いていただいたことに感謝しております。

また、全国各地から多くのボランティアが駆けつけていただき、発災後の猛暑の中、家屋の土砂撤去など泥だらけになって作業をしていただきました。

また、自衛隊における仮設風呂の運営、企業・団体における災害ごみの対応、支援物資や炊き出し支援、多くの関係者のご尽力により、復旧・復興を着実に歩むことができましたことにお礼を申し上げたいと思います。誠にありがとうございました。

一方で西予市の強みも垣間見ることができました。

一つは消防団の活躍です。統制が執れた組織の動きは驚くほど機能しました。野村町の消防団は、浸水が迫る中、住宅一軒ずつを声掛けして避難を呼びかけました。早朝でありましたが住民が起きるまで声をかけ続けたり、歩くのが困難な方は車で避難所まで送迎したりと、その行動は多くの命を救いました。

野村以外の各方面隊においては、自分たちの地域が一段落した後にはローテーションで野村町の応援に入る判断をしていただきました。それも団員の多くが自ら志願したとのことであり、消防団組織の一体感や使命感、助け合う心が備わっている行動に敬服したところでございます。

また、復興に向かう苦難の中にあっても地域を盛り上げ、勇気づける話題もありました。乙亥大相撲の開催です。166年間、一度も途絶えることなく毎年開催されてきた乙亥相撲は、例年会場となっておりました乙亥会館が浸水被害で使用できないため、地元有志が新たに野村公会堂に土俵築くことで、167回目が開催できました。相撲を愛し、地元を愛し、災害に負けないという気概が結集した乙亥大相撲であったと思います。

更に子供たちにも勇気づけられました。

このあと披露いただきますが、「のむらのうた」を制作いただきました。子どもたちの想いのこもった歌詞がこころに響き、気持ちを前向きにさせてくれます。

災害が起きたことは大きな災難でありました。

しかし、このように市民が一つになり、絆が更に強まり、前向きに動き出す力強さが醸成され、まちは少しずつ元気を取り戻しつつあります。

この3月に、西予市復興まちづくり計画を策定いたしました。ご協力いただきました、愛媛大学、東京大学の先生方、関わっていただいた市民代表者の皆様に感謝申し上げます。

計画のキャッチフレーズは、中学生の作品です。

「復興のパズル みんなでつくる 未来のカタチ」

このキャッチフレーズのとおり、復興はパズルを組み合わせるように複雑で、困難なものかもしれません。しかし、一人一人の力をパズルのピースととらえ、組み合わせていくことで、西予市の未来のカタチが描かれていくように思います。

新たな時代の幕開けとなった令和元年を「復興元年」と位置付けて、西予市は力強く進んでいくことをお誓いいたします。

最後になりますが、本日の追悼式に大変お忙しい中、遠方各地よりご参列いただきました、ご遺族、ご来賓、一般参列者の皆様にお礼を申し上げますとともに、御霊の永遠に安らかならんことをお祈り申し上げ私の式辞といたします。

 

令和元年7月7日

西予市長 管家一夫

 

ご遺族代表 小玉 恵二 様 ご遺族代表のお言葉

本日は、この追悼式を開催していただいたこと、又、このようにたくさんの方々にご参列をいただいたことに心より御礼を申し上げます。

遺族を代表いたしまして、追悼の言葉を申し上げます。

西予市では、昨年の豪雨災害により、災害関連死の方も含め、6名の方々の尊い命が失われました。そして、私達の生活も一変しました。あれから早1年が過ぎようとしています。

今も雨が降るたびに、私達が被災者と呼ばれるようになったあの日のことを思い出します。丁度、1年前、早朝消防団の方から野村ダムの大量の放流があるから、すぐに避難するように声掛けがありました。そのため、店舗の2階に住む次男家族に避難するよう伝えた後、今回は少しぐらいは浸水するかもしれないなと思い、畳を少しでも高い場所へと積み上げていました。やがて、新聞配達から帰ってきた妻と作業を終え、いざ避難しようとした時には、川の水が今まで見たこともない勢いで堤防を乗り越え、私達を襲ってきたのです。慌てて、軽トラックに飛び乗り逃げようとしましたが、家の裏側へ走った所で四方から濁流が押し寄せ、すぐに車は動かなくなってしまいました。

私達のすぐ後ろを近所のおばあちゃんとお孫さんが乗った車も流れてきました。そのとき、駐車場に停めてあった数台の車が押し流されていくのを見ました。その後、その1台には、同級生の入江さんが乗っておられたことを知り、愕然としました。私達4人は近くの家に逃げ込み、どんどん増えてくる水に追われ、最後には屋根の上まで必死で這い上がり、救助を待つことになりました。

三島町には、私達の他に逃げ遅れた方が、数十名もおられたということで一歩間違えればもっと多くの命が失われていたと思います。

屋根の上から水に追われ、助けに行けなかった母の家が沈んでいくのを見て、隣の倉庫の2階に逃げていればどうにか生きていてくれているかなと、かすかな望みをかけていましたが、それは叶わないことでした。

しばらくすると、あれほどあった水が引き始め屋根からすぐに降りて駆けつけましたが、家の中は無残な状態で、私一人では手のつけようがなく、レスキューにきてくれた消防署の方と行方を探して行くと、折り重なった畳の下から、変わり果てた母が見つかりました。

誰も助けに行けず、恐怖と絶望の中で亡くなった母の事を考えると、助けに来られず大変申し訳なかったと、ただ後悔するばかりです。

私達はこの悲しみを一生抱えて生きて行くしかありません。

母は、以前から飼っていた猫が昨年春に死んでしまい、知人から白い子猫を譲ってもらって飼い始めたばかりで、「シロちゃん」と言って、毎日大変嬉しそうに可愛がっていました。その「シロちゃん」も行方は分かりません。

また、畑仕事が好きで、友達と山の畑が過ごすのが一番楽しいと言い、野菜を家族や知り合いに分けては、嬉しそうにしていたのが想い浮かばれます。

人と話すのが大変好きで、いつもお友達とおしゃべりをしていました。

そんな母が、誰も想像もしなかったとんでもない川の氾濫で、帰らぬ人となってしまったことが、今でもかわいそうでなりません。

一年が過ぎ、復旧復興が唱えられ、被災した多くの建物が取り壊され変わりゆく、その野村の風景に大変胸がいたみます。

これから時間はかかっても町に活気が戻り、安心して暮らせる町になるよう、切に願うばかりです。

西予市においては、二度とあのような悲劇を繰り返さない!二度と野村の町を泥水に沈めない!という決意を持って、安心安全な野村の町を再建して行くことが亡き母達への供養になると思います。災害に強い町づくりをしっかりと考え、将来へ繋いでいかなければなりません。

最後になりましたが、西予市をはじめ全国からの多くの皆様のご支援が、私達被災者にたくさんの希望を与えて下さいました。そのおかけで、今はこうして元気に過ごすことができております。皆様の思いに応える為には、私達一人ひとりがしっかり前を向いて生きることだと思います。差し伸べて頂いたその手に、笑顔で応えられますように、私達は一生懸命頑張って行こうと思います。ご支援下さいましたたくさんの方々、本当に有難うございました。

これからも復興に向けて様々な困難はありますけれど、一歩ずつ着実に歩み続けていくことを、犠牲になられた方々にお誓い申し上げ、追悼の言葉とさせていただきます。

 

令和元年7月7日

遺族代表 小玉 恵二

▲ 参列者の皆様による献花

▲ のむらのうたの合唱

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